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2007年10月の15件の記事

2007年10月29日 (月)

●目肥●

日曜日の新聞(10月28日、朝日新聞朝刊)で新しい言葉に出逢い、気持ちが豊かになった。
「目肥(めごえ)」という言葉だ。

わが国には、山野草を栽培し楽しむ文化が古くからあるが、この山野草栽培の愛好家の間で古くから使われてきた言葉だそうだ。
文字どおり、見つめることが最も有効な肥料となる、という意味である。

育てる対象とじっくり向き合うことをせず、窒素・リン酸・カリのバランスはどうだ、微量元素がどうした、というよりは、時間さえあれば眺め、時間がなければ時間をつくっても見入ることが最大の栄養源となる。
非科学的な、単なる精神論でもなければ、科学否定論者の夢想でもない。
事物に見入る人間が、見入るだけで終わるわけがない。
水は足りているだろうか。日当たりは充分か。心配で心配で、心配することも楽しくて。
そうした人のもとにある草花が活き活きと育たぬ訳がない。

森林(やま)づくりの言葉にも、これと近い言葉がある。
「やまの肥やしにゃわらじが一番」とか「やまの肥やしは人の足跡」とか、細かな言い回しには差異があるが、各地の林業家たちが口にする。
人が森林に足を踏み入れることが、もっとも大切な森林の栄養になる、という意味の言葉だ。
わらじを化学分析にかけたところで、もちろん意味はない。
「踏圧が土壌を締め、根系の呼吸を妨げる」という反論も無味乾燥。

「育てる」「つくる」という人の営為を考えるのに、人を抜きにしてまともな答えが見つかるわけがない。

新しい言葉と出逢うのは、物やお金を手に入れることよりもずっと豊かになれる。

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2007年10月24日 (水)

トラマルハナバチ

20071023toramaruhanabati

10月の中旬に、夏の下刈りの成果を確認するために新植地に足を運んだ。
この時期に花を咲かせている草本も限られてきていたが、何種類かのアザミが紫色の花を咲かせていた。少しの間観察をしていると、コロコロとふとったハチがやってきた。
冷涼な気候によく適応し、世界に250種、わが国にも14種類が分布するハナバチのなかまでトラマルハナバチという種類のハチだ。ミツバチ同様、社会性のハナバチである。縫いぐるみの熊のような鮮やかな橙色の毛に覆われて、よく目立つ。攻撃性は極めて弱く刺されることは滅多にない。

春に女王蜂がモグラの巣穴等を利用して土中に営巣を開始し、夏から秋に大家族に発展、冬に解散という一年性の生活史を送る。巣は蜜蝋と草を混ぜ合わせたブドウの房状のもので、幼虫の育室の隣には餌となる花粉の貯蔵室をつくるなど、非常に発達している。巣の中では一匹の母親の女王蜂を中心にたくさんの働き蜂(雌蜂)からなる家族で生活する。

長い口吻で蜜を吸う際に全身の毛が花粉まみれになり、また別の花へと移動する際に花粉を媒介する。高い花粉媒介機能が果樹生産農家などにも注目されている。
近縁外来種のセイヨウマルハナバチは同様の目的で輸入され、ハウス栽培で利用されたが、温室から逃げ出した個体が定着し、北海道などでは在来種の生存を脅かし、問題にもなっている。

無雪期をとおして活発に飛び回るハチだが、開放地に多いため森林内で出逢うことは少ない。そのため下刈り以外の作業の時には目にとまりにくい。下刈りの時期を過ぎると、新植地からは足が遠のきがちだが、秋や冬の新植地に足を運び、ゆっくりと風景を楽しむことも楽しいものだ。

20061015 NIKON D80 60MICRO

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2007年10月23日 (火)

『自然を感じるこころ』

20071023sizennwokannjirukokoro 野田研一:『自然を感じるこころ -ネイチャーライティング入門』、ちくまプリマー新書、2007年初版

わが国におけるネイチャーライティング研究の第一人者である著者の手による一冊。

ネイチャーライティングとは、「1.自然に関する科学的情報、2.自然に対する個人的な反応、3.自然に関する思想的・哲学的解釈(本文より抜粋)」を基本要素としてもつノンフィクション形式のエッセイの総称である。

『シートン動物記』や『ファーブル昆虫記』などに代表されるように、あるがままの自然の姿を謙虚に映し、それに心情を乗せて描かれた文学作品は、多くの人々の自然に対する理解を深めるとともに心を動かす。
結果として、悲壮な運動論ではなく、厭世的でもない自然保護の実践者を生み出すこととなる。

わが国においては、担い手に恵まれないネイチャーライティングの重要性と楽しさを伝える好著である。

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2007年10月21日 (日)

●農家がつくった森林●

最近、“はざかけ”のことや“リンゴ”のことなどをこのブログで取り上げてきた。
“森林づくり”のブログなのに。

もともと、わが国の林業は農家が主体となって進められてきた。
そのため、森林を育てる知恵も、農業生産との関係で積み重ねられ、練られてきたものが多い。
どの作業も、山の木々のために一番良い時期に行うのではなく、農閑期に行うことを前提に組み立てられてきた。

わが国は、面積こそ狭隘だが、驚くほど多様な気候風土を持つ国なので、全国一律の方法では、豊かな森林づくりは望めない。その地域地域に根ざした方法が必要だ。
地域に根ざした方法は、地域に長く生活した者にしか生み出すことはできない。
そのため、古くから森林を育ててきた農家の知恵に学ぶことが大切なのだ。

農家の生活や、農業のこと、農村の慣習、そういったものを知ることが森林づくりには欠くことができない。

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2007年10月19日 (金)

切り株の上の小宇宙

20071018koke

杉の林の中に、目を奪われる鮮やかな緑が点々としている。
何だろうと思って近づくと、一昨年の秋に伐倒した直径15cmほどの杉の切り株の木口が苔に覆われていた。
秋雨が切り株を濡らしたおかげで一斉に胞子嚢を伸ばしたようだ。

レンズ越しに見ると、まるで、見たこともない種類の、見たこともないような巨木が幽玄な深い森をつくっているようにさえ見えてきた。そして、その巨木を凌駕する、やはり見たこともない木の子もそびえている。

昨年のこの時期には、この林の中で、こんなに綺麗な苔を見た覚えがない。
見た目には伐倒したときからそれほど変わったようには見えないが、様々な菌類が杉の切り株を分解し、苔生す条件を整えたのだろう。

小さな切り株の上の広大な世界の下で、想像すらできないような世界が広がり、弛まず森林をつくっている。

20071014 友好の森
NIKON D80 TAMRON18-250

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2007年10月17日 (水)

あかまんま

20071017akamannma_2

稲刈りもほぼ終盤に近づいた。
川場村のいたるところで“はざかけ”が行われている。
刈り取った稲を束ね、竿に架けて乾燥させる作業だ。

“あかまんま”は正式和名をイヌタデという。
赤い実を赤飯に見立ててままごと遊びに使ったのが通り名の由来だ。

夏から秋の比較的長い期間に花を咲かせる植物だが、“あかまんま”は稲刈りの済んだ田んぼの畦によく似合う。

20071013 湯原地区
NIKON D80 SIGMA10-20

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2007年10月14日 (日)

ウド

20071014udo

2007年10月13日 中野地区
NIKON D80 105MICRO

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おいしい季節!

20071014ringo

リンゴがたわわに実ると美味しい季節の到来だ。
村内のいたるところに赤い色が目立ちはじめた。
様々な品種のリンゴが次々に食べ頃を迎える。

リンゴといえば青森県と長野県が二大産地ブランドを形成する中で、川場のリンゴもめきめきと頭角を現し、二大産地に勝るとも劣らない農家が少なからず存在する。

リンゴは、一般にマルバカイドウというバラ科の樹木にリンゴの枝を接ぎ木して生産される。
マルバカイドウの根の強さを利用した生産方法だが、このことを知る人は多くない。

20071013 中野地区
NIKON D80 70-300 

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2007年10月 8日 (月)

キタテハ

20071008kitateha

10月にはいると気温も下がり、樹木は厳しい冬を乗り切る準備を始める。雑木林の落葉広葉樹は、春から夏に茂らせた葉を紅葉させてから順次落としていく。葉からの水分の蒸散が弱まるにつれて、根も大地から水分を吸収する勢いを弱めるので樹液流動も僅かなものになっていく。間伐や枝打ちなどの森林作業の適期である。

キタテハは樹液流動の盛んな夏期には雑木林に集まる。クヌギやコナラなどの樹幹にカミキリムシなどがつけた傷から流れ出す樹液に誘われるからだ。しかし、秋になり、木々から甘い樹液がほとんど滲み出さなくなってくると、花の蜜を吸いにキク科の植物に集まるようになる。写真のノコンギクは、太陽の光が木々の葉で遮られないような開放地に群生し、秋の里山を彩る植物だ。間伐などの作業を終えて林道を歩き、開けた明るい場所に出たところでキタテハに出逢うことが多い。

翅を閉じていると枯れ葉のようでまるで目立たない。しかも虫食いの枯れ葉に擬態していて、晩秋の風景に見事にとけ込んでいる。ところが、いったん翅を広げると赤味がかったオレンジ色の地に黒い豹紋が目に鮮やかだ。保護色と警戒色、翅の表裏に正反対の工夫を凝らした入念な生き残り戦術である。タテハチョウの仲間が蝶の中ではもっとも進化したグループだといわれる所以であろう。幼虫は、食草でもあるカナムグラの葉を糸で綴り、屋根状の巣を作って暮らしている。これもまた進化の成果だろう。

花に集まるキタテハを目にするようになると、間伐や枝打ちの季節の到来だ。

20061015 NIKON D80 60MICRO

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2007年10月 7日 (日)

★4ヶ月★

今日でこのブログを立ち上げて4ヶ月が経ちました!
この間、川場村にお住まいの方々ともブログを通じてお話ができるようになり、本当に楽しい時間を頂戴できています。あらためて感謝申し上げます!
総アクセス数も5400件あまりと、多くの方々に訪れていただき、大変嬉しい反面でいい加減なことは掲載できないな、と緊張もしています。

へたっぴ写真と乱文ですが、少しでも川場ファンを増やすことができればと思っていますので、今後ともごひいきの程、よろしくお願い申し上げます!!

このブログでは野山に自生する花を紹介させていただいてきましたが、村内のそれぞれの集落内は、どこも花でいっぱいです。
さすがに農家の方々はとても上手に世話をしていらっしゃいます。
こんなに綺麗に花が彩る村は珍しいのではないでしょうか。
川場村は、雪深い厳冬期を除いて、一年中花が絶えることのない村です。
緑の山々や豊かな田畑を借景に、すばらしい花景色をこれからも楽しみたいと思っています。

20071007kadann

20070825 中野地区
NIKON D80 TAMRON28-250

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2007年10月 4日 (木)

キノコは森のスターター

20071003kinoko

樹木は生の中に死を内包するという、他の生物には見られないとても不思議な機構をもっている。
生物学的に生きているのは、表面のごく数ミリの細胞に過ぎず、その内側は既に生命活動を停止した細胞が詰まっているのだ。
それにもかかわらず、内部が腐敗したりすることもなく、時には数千年もの時間を過ごす。
もちろん腐敗・分解を阻止する様々な仕組みが樹木の中に存在するからなのだが、よく考えると神秘的ですらある。

一方で、樹木は枯れて土に還ることで、次世代の生育環境を形作るという大切な働きももっている。
ところが、樹木の内部を腐敗させない機構は、樹木が枯れた後も永く持続される。
木造建築物が長い時を経ても堅牢であったり、湖沼の底で気の遠くなるほどの年月を数えた倒木がほぼ原型を留めたまま発見されるのは、こうした樹木の特質によるものだ。

木を食べることでおなじみの白蟻ですら単体では樹木を分解することができず、白蟻の腸内に存在する微生物の力を借りなければならないほどだ。

この堅牢な樹木の機構を打ち破り、短時間に樹木を分解させる生物がキノコである。
キノコが樹木をある程度分解すると、様々な生物が食べることが可能になる。
様々な生物を経て樹木は土に還り、新たな芽吹きを可能にする。
キノコは森林の新たなスタートをきる重要な役割を演じている。

20061014 友好の森の中で
NIKON D80 60MICRO

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2007年10月 2日 (火)

『木造建築を見直す』

20071002mokuzoukenntikuwominaosu 坂本功:『木造建築を見直す』、岩波新書、2000年初版

わが国における森林の保全を考える際には、やはり林業を見つめる必要がある。
木材価格が低迷する昨今にあって、「林業」を森林を活用した総合産業であるというように拡大解釈すべきであるとするむきもある。
しかし、やはり林業の本体は木材生産にある。木材は我々の生活の衣食住全てにわたる局面で驚くほど多様な利用をされてもいるが、やはり、質的にも量的にも、建築用材としての利用が中心である。

川場での森林づくり活動も人工林の管理・保全を目的とした活動を多く含んでいるので、木材の生産を常に視野に入れておく必要がある。自分たちが管理にたずさわった森林から生み出された木材がどのように流通し、利用に供されるのかを知っておくことは、森林づくりの方向性を決める上で極めて重要なことだ。

1995年1月17日に阪神・淡路地方をマグニチュード7.3という途方もない地震が襲った。死者6,434名、行方不明者3名、負傷者43,792名という甚大な被害をもたらすものであった。
そして、この震災は林業・木材界にも看過できない影を落とすことになった。「木造建築は震災に弱い」という風評被害とさえいえるイメージの流布である。
木造建築は本当に震災に弱いのであろうか。だとしたら、地震大国であるわが国になぜ木造建築が根付いたのであろうか。

本書では、木造建築の有利性・不利性を偏らずに説いたうえで、木造建築に明るい希望を提示している。
木造建築という文化について、もう一歩深く知るための好著である。

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キバナアキギリ

20071001kibanaakigiri

2006年9月22日 友好の森
NIKON D80 60MICRO

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2007年10月 1日 (月)

●虫の声に気づく静かな時間●

近年、市民の森林づくりにおいても、チェーンソーや刈り払い機などの動力機械が多用されるようになってきた。

大きな音を出す動力付きの機械などを使っていては、その存在にすら気がつかないような微細な楽しみが森林(やま)づくりにはある。楽しみであると同時に大切なことだ。

森林は樹木だけで構成されているのではない。土があり、水が流れ、風が吹き、鳥がさえずり、動物が暮らす。そうした、まさに総合的な環境として森林を意識できなければ、森林づくりが功を奏することはない。

動力機械は、木材を得る仕事には大きな力を発揮するが、森林を理解する上では邪魔者となってしまうことも多い。動力機械の利用で目先の作業スピードが上がっても、別の機会に森林全体を見渡す力を養おうとすれば二度手間三度手間になり、どちらが効率がよいのかわからない。

これは何も森林づくりに限ったことではない。目先の効率を追い求めた結果、我々の社会は、様々なものを失い、それらを取り返すために莫大な費用や労力を投じることを余儀なくされている。
市民の森林づくりが、こうした時代の中で必要とされつつあることを考えたとき、一見効率がよいように見える作業が、実は、森林の総合的な理解を進めることを邪魔しているかもしれないことに危惧を抱かざるを得ない。

森林の中で出逢う、虫や花や鳥たちに気づき、楽しみ、理解することができるような、ゆっくりとした作業を進めていきたい。

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●森林(やま)仕事のゆったりとした時間●

「木に上っている時間と同じくらい鉈を研いでいた」とは腕のいい枝打ち職人の言葉。「研ぎもしないで刈ったって草より息が切れるだけ」とは下刈りの話。「トビの先はしょっちゅう叩いたな、焚き火でな、赤めてから叩くのよ。先が鈍れば仕事になんかならねえからな」とは伐出を生業とする木屋師。

高性能林業機械はおろかチェンソーすらなかった時代に育った林業家たちは、手道具を通じて仕事を体に染みこませた。

茶を飲み、紫煙をくゆらせ、緊張の連続である危険作業による心身の疲れを解すひとときに次の仕事の準備を怠らないのがよい職人だったそうだ。
先輩にお茶を淹れるくらいしか仕事のない茶坊主は焚き火をしながら湯を沸かし、先輩が道具を研ぐ技を盗み、次第に様々な技を自分のものにしていった。

そうした時間に彼らは様々な話もしたという。あそこの沢の橋が落ちかけているから架け直そうとか、どこの鍛冶屋は腕がたつとかといった大切な情報交換。旨い山菜やキノコが採れる場所はけっして誰にも教えなかったけれども、そうした場所を見つけるための目配りのポイントは言葉の端々から漏れていた。森林の恵みを最大限に活用するための知恵の伝達の時間でもあったのだ。ジムグリを若手に食わせておいて「旨いかね」「そいつは苦いだろ、マムシは旨いぜ」などと腕白坊主の顔に戻っての悪戯も後進を育てた。

手道具を使ってこその、そうしたゆったりとした時間を過ごすことで彼らはベテランの林業家に育っていった。

わが国が戦後の復興期を過ぎ、急速な経済発展を遂げるなるかで失っていったのは、こうしたゆったりとした時間の流れではなかっただろうか。それが許された遠い過去の、牧歌的な風景として語られることこそ多いこうした時間の流れは、実は、丁寧で真に効率的な時間の流れであった。

木材生産を生業とするプロの林業家たちには一定の速度が要求されるのも致し方のないことだが、市民が森林づくりに関わる強みは、こうした丁寧な時間を過ごすことが許されるところにある。

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