歴史の一コマ
エルニーニョ現象の影響だとかで、今年は全国的に暖冬だという。
それでも川場の冬は厳しい。
1937年(昭和12年)頃のことだと伝えられているが、朝晩の冷え込みと寒風を利用して寒天の製造が試みられたことがあったそうだ。
冬の農閑期の仕事として大きな期待が寄せられていたのだろう。
中野地区の有志が2007年にまとめた『地域の絆』という一冊の本によれば、開業当初は岐阜県より技師を招いて指導を受けながらの操業だったようだが、次第に村民が技術を習得し、1950年頃まで生産が続けられていたようだ。
短い間の操業であったが、地域の人々の生活を支えたのだろう。
操業停止から60年を過ぎた現在でも、寒天の原料であるテングサを煮た釜が置かれている。
中野地区の集会場の前、ブルーベリーの丘の入口駐車場前を通るときには目を留めてみてほしい。
20091120 寒天生産の名残(中野地区)
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