麗らかな春の日
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これまでも何度もお知らせしているように、川場村でニホンカモシカが個体数を増加させているのは間違いのないところであろう。
20年間、川場村に通いながら、カモシカに出遭うことはそう度々あるものでは無かったのに、一昨年くらいから急に頻繁に出遭うようになってきた。
昨年などは、何回出遭ったか分からないほどだ。
本日(2月2日)付けの報道各社による配信で、老夫婦がカモシカに襲われたというニュースが流れた。
午前2時頃、福島県喜多方市の山間の集落で、飼い犬が吠えるのを聞いた76歳の男性が家の外に出てみると、玄関先にいた一頭のカモシカにいきなり角で突かれ、夫の声を聴いた妻(73歳)が外に出たところ、妻も被害にあった。
夫妻は脚に怪我を負い病院に運ばれたが、命に別状はないという。
カモシカは元来おとなしい動物で、人を襲うといったニュースはほとんど聞かないのだが、どのような状況で今回のような事故が起きてしまったのだろうか。
推測に過ぎないが、敷地内に迷い込んだカモシカが、犬に吠えかかられ、さらに突然人間が現れたことでパニックを起こしてしまったのではないだろうか。
怪我をされた夫妻には大変気の毒だが、ごくごく稀なケースなのだと思う。しかしながら、個体数を増加させつつあるなかでは、こうした事故情報に触れる機会も増えてしまうのかもしれない。
しかし、だからこそ、徒に過敏に、そして科学的な根拠もなく危険視して、短絡的で、その場凌ぎの結論を社会が出さないための行動を起こしたい。
写真は、昨年末に後山で出遭った一頭だが、川場村が野生動物と人間とが共存する先進事例になるような努力を重ねたいものだ。
20091219 ニホンカモシカ(後山)
NIKON D300 70-300
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このところ、仕事(本業)が忙しかったり、体調が優れなかったりで、川場村にご無沙汰が続いてしまっている。
なんと、今年、2010年に入ってから一度も訪れていないのだ。
こんなことは、この数年来無かったことである。
もういい歳なんだから静かにしていなさいという啓示なのかもしれない。
そんなこんなで、古い写真ばかりを引っ張り出してはページを埋めていて、このブログはまだ年が明けていないのだ。
今日の写真も、昨年末のもの。
自動撮影装置が、雪景色のなかのリスを写してくれた。
真っ白な雪面に冬枯れの灌木の影が映り、その中にシルエットでまだ子どもと思われるホンドリスが静かに佇んでいる。
なかなかに画になる光景だ。
ホンドリスは、ペットショップなどでよく見るシマリスなどとは違って冬眠はせず、冬の間も元気に活動を続けている。
秋には樹木の小さな洞や根元などにクルミやドングリなどを仕舞い込み、冬の間の食料としている。
こうした行動は“貯食行動”と呼ばれているが、仕舞い込んだドングリなどのうち1割程度は隠し場所を忘れてしまうらしい。
この忘れられたリスの食料が、植物の分布域の拡大に一役買っている。
ドングリなどでは、あまり役に立たないように思われるが、クルミの仲間には大きな働きとなる。
クルミの仲間は“水散布”といって、河川の流れを利用して種子を運ばせ、分布域を拡げるのが一般的なのだが、そうなると河川沿いにしか分布できないことになってしまう。
そこで、栄養価が高く、美味しい実を着け、リスなどに運んでもらう(“動物散布”)という、もう一つの繁殖戦略を併せたてているのだ。
ところが、実を全て食べられてしまっては元も子もない。
リスが貯食行動をとること、そして一定数を忘れてくれることが必要なのである。
地上に水の流れがないような森林(やま)のなかで出遭うクルミの木は、どこからかリスが運んできたものに違いない。
20091222 雪の中に佇む仔リス
自動撮影装置
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ある集落の外れに仕掛けた自動撮影装置には、頻繁に、様々な野生動物が記録されている。
民家がすぐそこに見えるほど集落に近い所なのに不思議なことだ。
古い時代から、こうして人間と野生動物の距離は近かったのだろう。
だからこそ、キツネやタヌキに化かされたりもした。
『日本霊異記(にほんりょういき)』という書物がある。
この書物は、奈良の薬師寺の景戒という僧侶によって平安初期に纏められた、わが国初の仏教説話集である。
この書物のなかに、キツネの語源と考えられている話が収められている。
ある若者が、野原を歩いていると、一人の美しい女に出遭う。
二人は、やがて子をなし、幸せに暮らすが、飼い犬だけはこの女になつくことはなかった。
実は、この女はキツネが化けたものだったのだ。
犬は敏感に、女がキツネであることを見抜き、吠えたてていたのだった。
ある日、女が食事の支度に取り掛かろうと家に入ると、そこにいた犬にいつも以上に吠えたてられてしまう。
あまりに愕いた女は、変化を解き、もとのキツネの姿に戻って野に帰ってしまう。
男は嘆き悲しみ、「なんじ我を忘れたか、子までなせし仲ではないか、来つ寝よ」と願ったという。
この話の最後の言葉、「来つ寝よ」は現代風にいえば、「夜には寒い野原などにいないで、家に入ってきて寝たらどうだい」というような意味であろう。
この「来つ寝よ」がキツネの語源になったというのである。
かつて、このブログで紹介した、『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』という書籍にも詳しいが、人間と野生動物の距離は近かったのだ。
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タヌキの話題を出しておいてキツネに触れない訳にはいかない。
関西人に“きつね蕎麦”などというと、笑われたり叱られたり。
彼の地では、きつねは“うどん”、たぬきは“蕎麦”と決まっているらしい。
確かに、大阪などの時代を重ねたうどん屋に入ると、お品書きには“きつね”“たぬき”としかないことが多い。蕎麦だの、うどんだの文字は付いていないのだ。
きつねうどんには、ご存じのように油揚げが乗せられている。
うどんの汁とは別に甘辛に煮つけた油揚げを噛むと、じわっと旨味が口中にひろがり、幸せなことこの上ない。
油揚げを“きつね”と称していることはもちろんなのだが、なぜそうなったのかご存じだろうか。
乾燥さえきちんとできていれば保存性が非常に高い穀類は、時代を問わず人々の生活を支える重要品であった。
この重要品の共同保管庫を“やしろ”と呼んだのだが、風通しを良くするために土を盛り、日光を遮るために、一年中葉を落とさない常緑樹を“やしろ”のまわりに植栽したのだという説がある。
“やしろ”とその周辺の空間には、土があり、樹木があることから“杜(もり)”の字が充てられたのだという。
時代とともに、重要品である穀物倉には神が棲むこととなり、“杜”の字の木偏が、神聖なものを意味する文字に使われる示偏にかわり、“社”の文字が生まれ、そのまま“やしろ”の音も与えられたと考えられている。
現在の神社仏閣の多くが高床式でつくられ、必ずと言っていいほど周囲に樹木が配されていることに合点がいく。
こうした来歴を現在に直截伝えるのが“稲荷神社”であるわけだが、もともとが穀物倉である以上、最大の敵はネズミであった。
このネズミを補食する動物としてキツネを入口に配し、供物としてネズミに似せた油揚げを供えたことから、油揚げを“いなり”ともいうようになったのである。
油揚げが酢飯を包めば“いなり寿司”、うどんに乗れば“きつねうどん”。
自然の猛威と闘いながらも、自然を利用し、自然と共に生きてきた先人達の生活に思いを馳せるのに恰好のきっかけだと思うのだが、いかだろうか。
ちなみに、キツネそのものの語源・由来については、またあらためて。
20091221 雪の中のホンドギツネ(ヒロイド原)
自動撮影装置
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きりっと冷やされたざる蕎麦が好きなのだが、こう寒い日が続くと温かい汁蕎麦が食べたくなる。
けれど、ごてごてといろいろ乗った蕎麦はどうもいただけない。
たぬき蕎麦が良い。
関西人は嫌がるが、少し甘めの醤油仕立ての汁に蕎麦が泳ぎ、天かすが一匙ほど。
小ぶりのいなり寿司の2つも付くとなおよい。
たぬき蕎麦は、なぜ“たぬき”なのか。
諸説有るようだが、天麩羅の“たね抜き”が縮まって“たぬき”となったというのが有力説。
“たね(具)”のない天麩羅=天かす(揚げ玉)が“たぬき”の正体だ。
タヌキの肉が入っているとかいうわけではない。
さて、本家のタヌキの語源はというと、これも諸説有るようだが、もともと“まみ”とか“むじな”とか云われていたものが、いつの頃からか“タヌキ”に変わっていったようだ。
剣道の籠手や弓道の弓懸(ゆがけ)、鷹匠の革手袋などを総称して“手貫(てぬき)”といい、この手貫の素材に適していたのがタヌキの皮革だったのだという(埼玉県立自然史博物館 自然史だより「貉(むじな)か狸(たぬき)か」より)。
そして、しだいに“てぬき”が“タヌキ”に変じていったというのが真説であるようだ。
皮革・毛皮・体毛などが様々に利用されたため、生息数を激減させたが近年回復しつつある。
タヌキは冬眠せずに厳しい冬を乗り切るために、フサフサの冬毛を身にまとい、体脂肪も蓄え、体重も冬季には夏季に較べ50%あまりも増加させる。
猟師などの尻皮に供されるのも、もっぱら冬毛である。
20091104 冬毛のタヌキ(後山)
自動撮影装置
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友好の森のなかにある“森のむら”という施設のまわりには、カモシカの痕跡が多い。
行ったり来たりの足跡が縦横についている。
四足歩行をする哺乳動物のなかで、シカやタヌキなどのように指先だけを地面に付けて歩くものは“指行性(しこうせい)”の動物と呼ばれる。
ちなみに、ヒトやクマなどのように手の平(足の裏)全体を接地させて歩くものは“しょ行性”の動物とされている。
“指行性”の動物は走ることに特化した動物たちである。
そして“指行性”の動物の中でも、特に走ることに特化した進化を遂げたのが蹄をもつ動物たちで、“蹄行性”と呼ばれ、指の爪だけで歩行・走行するという道を選んでいる。
その中でも、ウマのように蹄が一本(奇蹄目)の動物は、人間でいえば中指の爪だけで歩行・走行し、シカやウシなどのように蹄が二本(偶蹄目)の動物は、中指と薬指の爪だけをつかっている。
偶蹄目の場合、人差し指と小指は痕跡として残っていて“副蹄”と呼ばれているが、その機能は失われて久しいのだ。
同じ偶蹄目に分類されるイノシシは、副蹄が低いところにあるため、土の上について足跡などでも確認できるが、シカやカモシカの場合は、副蹄が比較的高い位置にあるため、通常は足跡として残ることはない。
ところが、積雪期になると蹄(主蹄)が雪に深く沈むため副蹄を確認することができるようになる。
写真は、カモシカのものだが、深く長くついた主蹄の跡のうしろに、2つのごく浅く丸い痕跡を確認することができる。これが、副蹄の跡である。
夏期に、副蹄がある足跡を見つけたら、まずイノシシのものと思って間違いないが、冬期には、シカやカモシカの足跡でも副蹄の跡がつくので気を付けなければならない。
20091227 副蹄が確認できるカモシカの足跡(友好の森)
NIKON D300 105MICRO
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なかのビレジを出て、目の前の坂道を少しだけ上がると右手にシイタケのホダ場がある。
世田谷区の小学校の移動教室で、小学生たちが駒打ちをしたり、私のところの大学生達が実習で整備をしたりしてきたホダ場だ。
今シーズンは暖冬のせいで12月の中頃までシイタケが出続けていた。
この、建物と目と鼻の先にあるホダ場に、はたして野生の動物がやってくるのかどうかを確認するために自動撮影装置を仕掛けてみた。
12月19日にカメラを設置して、僅か二日目の晩にハクビシンが記録されていた。
ハクビシンはジャコウネコ科の動物で、鼻先から額にかけて走る白い線が“白鼻芯”の名の由来となっている。
中国西部から東南アジア、海南島、スマトラ、ボルネオ、台湾などが元来の生息地であり、わが国には人為的に移入されたと考えられているが、その年代などは定かではなく、在来種であると考える研究者もいる。
小動物から昆虫、鳥類、果実など非常に幅広い食性をもち、近年では農作物への被害が拡大し“害獣”の悪名を着せられてしまっている。
もちろん、丹誠込めて育てた作物を食い荒らされる農家にとっては重大問題なのではあるが、ハクビシンが人為によって日本に強制移住させられた動物であるとすると、本当の被害者はハクビシンの方なのである。
食肉用、愛玩用、毛皮用、天敵生物として等など、様々な目的を持って外来生物が移入されるが、その生物自体の保護、そして、その後の生態系への影響や、地域社会の経済や生活などへの影響を考えると慎むべき行為として認識する必要があるだろう。
20091221 ハクビシン(なかのビレジ外構)
自動撮影装置
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以前にもお知らせしたが、川場村には2種類のノウサギが棲息している。
一つは“トウホクノウサギ(写真:左)”
もう一つは“キュウシュウノウサギ(写真:右)”である。
ともに“ニホンノウサギ”の亜種とされているが、それぞれの名のとおり、“トウホクノウサギ”は雪の多い地域にみられ、“キュウシュウノウサギ”は雪の少ないところに見られる。
両者ともに、夏には灰色~褐色の体毛をもつが、冬期を迎え冬毛に換毛すると、“トウホクノウサギ”は耳の先を残して真っ白な体毛に、“キュウシュウノウサギ”は換毛後も褐色の体色のままである。
その他にも、“トウホクノウサギ”は後脚の接地面が大きいなど、積雪地での生活に適した特徴をもっている。
この両亜種は、一般的にはその土地の積雪量によって棲み分けているといわれるが、川場村では、双方を確認することができる。
両亜種が混在しているということは、川場村が多雪と寡雪を繰り返してきたことを意味するのだろうが、それにしても不思議である。
なぜ、両亜種が交雑して中間形態を示さないのか。
あるいは、なぜ一方が優占しないのか。
村の老人にうかがっても、この村には昔から、冬になると白くなるウサギと、茶色のままのウサギがいるという。
こんな事実からも、川場村の自然の多様性をうかがい知ることができるし、そうした自然を活用してきた村の歴史を垣間見ることができる。
20091223、25 2種類のノウサギ(ヒロイド原)
自動撮影装置
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既にお知らせしたように、昨年末の12月26日から29日までは、子ども達を対象とした森林(やま)づくりの教室を開催した。
その教室で、子ども達に野生動物がすぐ傍まで、そして日常的にやってきていることを伝えたくて、ある仕掛けをしておいた。
教室開催のちょうど一週間前に、自動撮影装置を宿泊施設(なかのビレジ)の外構に仕掛けておいたのだ。
そして、ドキドキしながら迎えた教室の初日。
子ども達と散策に出かけたついでに、このカメラが記録してくれているであろう撮影データをチェックした。
野生の動物を餌付けたくはないので、いつもならしないことなのだが、このカメラの前にはハムとウィンナー、そして果物などを置き、動物たちを誘っておいた。
子ども達とチェックすると、ハシブトガラスしか写っていない。
がっかりである。
動物の足跡などから、ここならば何かしらの野生動物が写ってくれているはず。
そんな見込みも肩すかしをくってしまった。
けれど、子ども達には、人が利用する施設の傍だからカラスがいることなどを教え、そのまま継続して記録を重ねることにしてその場を離れた。
2日が経ち、翌日はいよいよ帰宅の日というギリギリまで待って、もう一度カメラの確認に出かけた。
なにも写っていなければがっかりなので、今度は私一人。
おそるおそる近づいてみると、餌として置いた果物などがすっかり無くなっている。
カラスにやられたな、と思いながらもデータをチェックしてみると、なんとタヌキのペアーが記録されていた。
その晩の報告会では、早速この画像を中心に、他のデータも織り交ぜながら森林の動物たちの話をすることができた。
森林(やま)の動物たちは、とても臆病なのでなかなか肉眼で見ることはできないが、確かに息づいているのだということ。
そして、姿を見ることができない動物の存在を知り、彼らを護ることを真剣に考えなければ森林(やま)づくりは達成できないのだということを伝えたかった。
20091224~28餌場に来た動物たち(なかのビレジ外構)
自動撮影装置
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