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2010年11月の12件の記事

2010年11月29日 (月)

雄鹿

20101129sika

ヒロイド原の外れに仕掛けてある自動撮影装置が雄のニホンジカを写しとめた。

堂々たる体躯をほこり、雄々しい闘牛のような面構え、そしてなんといっても、なかなか目にすることができないほど立派な双角を頂いている。

もし、この雄鹿が、もう目の前にまで迫っている冬を無事に乗り切ることができたならば、まだ雪の残る3月ぐらいにこの立派な角を落とすことになる。

シカは何故角を落とすのだろう。

角を落とすとすぐに次の角の形成が始まるのだから、オスの成獣に角がない時期は、ほんの一ヶ月程に過ぎないのだ。
角を形成するのにも随分とエネルギーを費やすはずだ。
一度生やした角を大切にすればいいのにと思う。

(2010/11/18 中野地区友好の森)
自動撮影装置

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2010年11月28日 (日)

黄葉

20101128dankoubai

このところ、入学試験やら何やらであたふたバタバタと過ごしており、川場村にもご無沙汰が続いてしまっている。
川場村では、森林(やま)が燃える季節も終わってしまっていることだろう。

そんなわけで、写真は、ちょうど2週間前の友好の森で撮影した一枚。

森林(やま)の中に分け入って、上を見上げるとダンコウバイが目を愉しませてくれていた。

鮮やかなのに、落ちついていて、艶やかなのに、心を静めてくれる。
都会では、なかなか出遭うことができない色彩だ。

ダンコウバイは、ヒトツバカエデなどと並んで、葉を黄色く染める樹木の代表だと思う。
深紅に森林(やま)を染め上げる“紅葉”も良いものだが、“黄葉”もまた良いものだ。

ダンコウバイは、漢字では“檀香梅”。
“梅”の名が付いてはいるが、クスノキ科のクロモジ属に分類されており、なるほど、同属のクロモジアブラチャンよく似た花を着ける。
この名に冠される“檀香”とは、白檀の漢名で、種子や材に白檀に似た芳香があることから名付けられている。

春には花が、秋には黄葉が、それぞれに気持ちを和らげてくれる樹木である。

(2010/11/13 中野地区友好の森)
NIKON D300 28-300

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2010年11月23日 (火)

静かな晩秋

20101123kouyou

目にしみるような一面の紅葉もよいが、実はこんな風景が大好きだ。

川場谷の入口付近にある桐の木平キャンプ場に車を停めて、少し歩いた辺りでこんな風景に出遭った。

標高は、大凡1,000mほどのところである。
ミズナラやカラマツなど、多くの樹木が葉を落としているなかで、何種類かのカエデの仲間が紅葉を残していた。

ここよりも、100mほど標高を下げると、まだ紅葉の盛りだったので、ちょうど標高900m辺りが落葉ラインだったのだろう。
この景色に出遭ったのは、10日ほど前のことなので、現在の落葉ラインはさらに標高を下げていることと思う。

落ち葉を踏む音がやけに大きく聞こえるほどの静けさの中で、枯れ葉色の中に僅かに灯る紅葉が、なんだかやけに嬉しかった。

(2010/11/14 川場谷)
NIKON D300 28-300

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2010年11月21日 (日)

出遭い

20101121kamosika

秋から冬へと装いを替えつつある森林(やま)を愉しんでいると、山肌に一頭のニホンカモシカが佇んでいた。

森林(やま)で野生動物と出遭うのは、何度経験しても、そして何歳になっても鳥肌が立つようなうれしさを覚えるものである。
一度でも、動物と出遭った場所には再会を期待して、何度も何度も足を運ぶこととなる。
しかし、そう簡単には再び出遭うことはできないのであるが、何度かに一度でも再会を果たすと、そこは宝物のようなとっておきのポイントとなる。

子どもの頃にこうしたポイントを見つけてしまおうものなら、それからの生涯を野生動物の観察にかけることになるかもしれない。
実際、こうした原体験をもつ研究者も多いのだ。

カモシカは、落ち葉の絨毯を踏みながら、ゆっくりと離れていった。

いよいよ厳しい季節がやってくる。
これからの半年近くもの間、僅かな食料で命を繋がなくてはならない。

なんとか無事に春を迎えてほしいものである。

(2010/11/14 谷地地区)
NIKON D300 28-300

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2010年11月20日 (土)

冬の朱(あか)

20101120turuumemodoki

紅葉も終盤にさしかかった川場谷の入口で目にとまったのはツルウメモドキの朱色の実。

本格的な冬の到来を前に、森林(やま)は次第に落ち着いた色合いを見せ始めているが、その中で鮮烈な朱(あか)が目を惹いた。

周囲の灌木に絡みついて成長しているのだが、灌木に温かい明かりがともったようにも見えた。

ツルウメモドキの実は、枯れ葉色の森林(やま)に彩りを添えてくれる。
冬の訪れを知らせてくれる朱なのだ。

(2010/11/14 川場谷)
NIKON D90 105MICRO

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2010年11月19日 (金)

眼福

20101119kouyou

標高900m程まで上がると、カラマツ林の中で、何種類ものモミジが燃えていた。

まだ緑の葉を着けたもの、黄色い葉、橙の葉、真っ赤な葉。

数え切れないほどの色、色、色。

カラマツの幹も景色を引き締めている。

こんなにも鮮やかであるのに少しも騒々しくはない。

どこかの偉い人が来るからといって植えられた紅葉は、どこか品がない。
園芸品種だからだろうか。
それとも、他所から無理矢理連れてこられたからだろうか。

それに較べて、川場村で世代を重ねてきたものの穏やかであること。

冬の香りが増してきた空気がまた贅沢。

(2010/11/14 谷地地区)
NIKON D300 28-300

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2010年11月15日 (月)

執念

20101114kuma

久しぶりに群馬県立二十一世紀の森に足を延ばしてきた。

ここは、何年も前からとてもクマの気配が濃いところで、ヤマグリの樹にはクマ棚が目立つし、ブナやホオノキには沢山のクマの爪痕がつけられている。

この二十一世紀の森を訪れたときには、なるべく確認するように気を付けてきた樹が一本ある。
胸高直径が70cmほどのミズナラの大木だ。

この樹の地際から150cmほどの高さには洞があり、ニホンミツバチが巣を作ってきた。
そして、そのミツバチの巣を狙って、明らかにツキノワグマの仕業と分かる痕跡が残されているのである。

左の写真は、2006年のもので、洞の口からはクマの手が入らなかったのだろう、穴の周囲や裏側に夥しい掻き傷があり、樹幹が大きく削られていた。
それでも、ミズナラも枯れることなく毎年葉をつけ、ミツバチも代々巣を作り続けていた。

それが、今日現場を再訪すると、右の写真のように、件のミズナラは枯死し、それまで無かった大穴が空けられていた。
もちろん、ミツバチの巣はかけらも残されてはいなかった。

私が、この樹の存在に気づいたのは、10年以上前のことであり、その時点では既にクマの格闘の痕が認められたので、さらに長い年月をかけてクマがこの樹に執着し続けたことになる。

もちろん、一頭のクマの仕事ではないかもしれないが、クマの執念が、ついに甘い蜂蜜を口にする栄誉を与えたのである。

ミズナラの樹とニホンミツバチにとっては、とんだ受難の年となってしまったわけだが、クマにとっては長年の苦労が酬われた年となった。

この、ミズナラの枯れ木とそこに穿たれた穴は、フクロウの住処となったり、キツツキのレストランとなったりしながら森林(やま)の命の連鎖を支える存在になっていくのだろう。

(写真左:2006/11/23 写真右:2010/11/14 二十一世紀の森)

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2010年11月11日 (木)

厳しい季節を目の前に

20101111sika

シカ達の恋の季節も終わり、いよいよ厳しい季節がやってきた。

この個体は、既に三叉に分かれた立派な角を頂いているので、少なくとも5~6歳にはなるはずだ。ということは、それだけ厳しい冬を乗り切ってきたのだ。
冬を乗り切ることができるだけの体力、賢さ、そして何よりも運があったのだろう。

けれども、だからといって今年の冬を乗り切ることができるかどうかは、神のみぞ知るところである。

辺りが一面の雪に覆われるようになるまでは枯れ葉や、地面に這うようにして冬を越そうとしている僅かな草なども食料になるだろう。
けれど、大地が一端根雪に包まれると、そうした乏しい食料までも口にできなくなる。
そうなると、木の皮などに頼る他はない。

まさに想像を絶する世界だ。
もし、人間が同じような境遇におかれたら、どれほどの期間、命を長らえることができるだろうか。

人間以外の生物について考えるときに、身体のつくりも生理も異なる生物を、人間になぞらえることはあまり意味がない。意味がない以上に、彼らを見誤るもとである。
それは充分に分かっているのだが、冬を迎えようとしている彼らを見るときには、つい擬人化してしまうのだ。

(2010/10/14 太郎地区)
自動撮影装置

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2010年11月 8日 (月)

冬の訪れ

20101108azami

絵画には全く疎いのだが、古い時代の油絵画家がそのままキャンバスに載せそうな存在感がある。

本格的な冬の到来まではもう少し時間がありそうだが、盛夏の時期にはなかった清涼感が辺りの空気を引き締めているようにも思える。

アザミの仲間は、夏から晩秋にかけて次々と花を咲かせ、そして秋が深まると、綿毛を着けた種子を風に運ばせる。

なかのビレジのスタッフが綴るブログでは、降霜がつたえられていた。

冬の森林(やま)で遊ぶ支度を急がなくてはならない。

(2010/10/16 後山)
NIKON D300 28-300

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2010年11月 7日 (日)

テンナンショウの実から思うこと

20101106tennnannshou

3週間ほど前の光景。

川場村には、何種類もの“ヘビの腰掛け”が分布している。
“ヘビの腰掛け”とは、この村の人々が、サトイモ科テンナンショウ属の植物を総称して呼ぶ名である。

秋になると、この仲間が写真のような独特の実を着ける。

地元の方から聞いた話では、この赤く熟した実を焼酎に漬け、その漬け汁を患部に塗ると、痔疾の特効薬なのだという。
テンナンショウの仲間は、有毒のものが多く、食用には適さないのだが、根茎を掘り採って打ち身やねんざの薬にしたとも聞いたこともある。

実際に地元の方々が利用し、その効果を確かめ、語り継いできたのだから確かに効果があるのだろうし、大きな副作用等も無いのだろう。
こうした知恵を現在に受け継いでいくことからも、森林(やま)の価値を再確認する手がかりが得られるのではないかと思うのだが、わが国では業種・業界毎に様々な“縄張り”があり、そして、その“縄張り”を護るために、目が回るほど多くの許可・認可を得なければならない制度が複雑に存在していて、これが邪魔になることもある。

こうした社会制度を根底から否定するつもりは毛頭無いが、つまらない利権争いや、権力抗争のしわ寄せを喰い、森林(やま)が犠牲を強いられてきた歴史もあるように感じている。

川場村の森林(やま)が宝の山であることを、まず地域の方々が再認識することから始める必要がありそうだ。

(2010/10/16 後山)
NIKON D300 28-300

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2010年11月 3日 (水)

ナギナタコウジュ

20101103naginatakouju

後山の山腹に走る林道沿いでナギナタコウジュが花を咲かせていた。
川場村では、9月の下旬から今ごろまでの季節に、そこかしこで見かける普通種である。

個々の花が密に集合し、あたかもそれで一輪の花のように見える塊を植物学では“花穂(かすい)”というのだが、この植物はどうした訳か、まるで歯ブラシのように、花穂の片側だけに花を咲かせる。

いうまでもなく、花という器官は、植物が子孫を残すために着ける器官で、じつに驚くべき多彩さで各種の植物がそれぞれに工夫を凝らした花を着けている。
そのなかで、本種のように、花穂の片側にだけ花を着けることにどのような戦略が秘められているのだろうか。

さて、このナギナタコウジュ、漢字では“薙刀香薷”と表記される。
片側にだけある花と、それによってやや湾曲した花穂の様子を薙刀(なぎなた)に見たて、シソとハッカを併せたような芳香が、中国の薬草である“香薷”に似ることからこの名が付けられたのだそうだ。

薬効成分も認められており、花の時期に刈り取ったものを乾燥し、煎じて服用すると解熱や発汗・利尿等の効果があるといわれている。

ナギナタコウジュの花が散ると、降霜・降雪の季節が近い。

(2010/10/16 後山)
NIKON D300 28-300

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2010年11月 2日 (火)

愛宕山初登頂

20101102atagoyama20年間も川場村に通っていて、愛宕山には登ったことがなかったのだが、ようやく、頂上まで行ってくることができた。

このように書くと、ずいぶんと標高のある山に登頂したかのようだが、愛宕山は村内の真ん中にぴょこんと飛び出した大岩のようなものなのだ。

谷地諏訪神社が祀られていて、3年ほど前から地域の方々が“再生プロジェクト”を立ち上げて整備を続けてきた。
その甲斐あって、参道もきれいに整備され、毎年10月の始めには、参道に火をともしての“火祭り”も行われている。

一直線にのびた参道の階段を上りきると、ハッテ干しの稲の脱穀作業を終えて一息つく農家の方の姿が見えていた。

この愛宕山は、真北に上州武尊山、真南に後山(虚空蔵山)という地点に残されていて、川場村の地形形成の長い歴史を感じることができる絶好のポイントだ。

山頂近くにある手作りの風景看板も楽しい。
絵は、愛宕山から南を向いたときに望める山々がとても丁寧に描かれているのだが、その絵が描かれた木の板が無造作に割られたもののようなのだ。
山や絵は好きなのだが、それ以外には頓着しない人が描いたのだろうか。

(2010/10/16 愛宕山)
NIKON D300 28-300

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