« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »

2011年3月の7件の記事

2011年3月31日 (木)

●節目●

元日の記事でもお伝えしたように、本日、2011年3月31日をもって“森林(やま)づくり塾”の塾長を退任することとなりました。

これまで、教室の運営にご尽力いただいた関係各位には、何から何まで本当にお世話になりました。

また、川場村にお住まいの皆様には、温かなご協力を戴き、心より感謝申し上げます。
時には励ましていただいたり、時にはお叱りを戴いたりしながら、少しずつ、少しずつ、川場村の森林づくりを学ぶことができました。

川場村の森林(やま)づくりに関わらせていただくことが、ただひたすらに楽しくて、家庭でも、職場でも、口を開けば川場村の話をする私に周囲の人々は、さぞ辟易したことでしょう。
それほどまでに、川場村の森林づくりは、私の生活の中心にありました。

おそらく、それはこれからも変わることはないでしょう。

塾長という立場は辞することになりましたが、これからは、これまでとは違う立場で川場村の森林とお付き合いさせていただきたいと考えています。

このブログは、塾長を拝命したことを機に開設したのですが、本日この記事をもって890話となりました。それらの記事の全ての内容が、川場村の森林と、川場村の森林に関わる人々から教えていただいたことがらです。
これからも少しずつ更新していきたいと考えています。
これまで同様、川場村の森林から気づかせてもらったことを発信していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

3月26~27日にかけて実施を予定していた教室が、塾長としての最後の教室でした。
今回の震災で中止となってしまい、教室への参加を希望してくださっていた方々には、最後のご挨拶をする機会を失ってしまいました。
これからも、様々な機会にお目にかかることができるのではないかと期待しております。

みなさん、本当にありがとうございました。
そして、これからもよろしくお願い申し上げます。

2011年3月31日 節目の日に。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年3月30日 (水)

離れザル

20110330hanarezaru

昨日紹介した、“慈母観音”から200mほどだろうか、車を走らせた所で一頭のニホンザルに出遭った。

最近出来たばかりの温泉宿“悠湯里庵”の塀の上をキリッとした顔で、そして悠然と歩いていた。

助手席に放りだしていたカメラを車中から向けると、こちらの気配を感じたのかとたんに早足になったが、それでも塀の上を、進行方向を変えることもなく進んでいった。

立派な体格の、壮齢の雄ザルである。
群ではなく、一頭で居たので離れザルなのであろう。

サルの社会もなかなかに大変で、そろそろボスの座を狙えようかというような地位の雄ザルは、群の中に居場所を失い、このような離れザルになることがある。
その後、実力を養い元の群に返り咲くこともあれば、他の群に入り込むこともあり、緩やかな遺伝子の交流を担ってもいる。

口元の頬袋をふくらませているので、何か餌にありついた後だったのだろう。

(2011/3/10 川場湯原地区)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

子育慈母観音

20110329kosodatejibokannnonn_2とくに意識しているわけではないのだが、不思議と同じ時期に、同じものを思い出すようである。

写真の“子育慈母観音”もそうで、ちょうど今ごろの時期になるとカメラを向けている。

このブログでも、一昨年の3月16日に紹介しているのだ。

不思議なものである。

今年は、震災の前日、3月10日に逢ってきた。

赤児に乳をふくませるやわらかな表情が心を和ませてくれる。
観音像に傘を差し掛けるように枝を広げるしだれ桜の芽もわずかにふくらみ始め、春がもう目の前までやってきていることを報せてくれていた。

川場村は、原発事故の影響で避難を余儀なくされている福島県飯舘村の人々の受け入れをはじめた。
現在は、100名ほどの人々が滞在している。

村内のボランティア有志が、彼らを支援する活動をはじめている。
私にも何かできることはないだろうか。

(2011/3/10 川場湯原地区)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月27日 (日)

冬来たりなば

20110326hukinotou

3月の9~10日にかけて川場村を訪ねた。
そして、翌11日。
マグニチュード9.0という未曾有の大地震が発生した。

国が“東北地方太平洋沖地震”と名付けたこの地震は日本という国を変えようとしている。

この地震が発生して以来、じつに様々なことを考えた。

このような、言わば“急性激発型”の危機に直面し、直接に被災された方々の現在のことや、これからのことを自分に重ねてみたり、何かできることはないかと思案をめぐらせたり。

地方軽視・農林業切り捨ての政策姿勢がもたらしてきた様々な問題は、地震発生以前から進行してきたのだが、この“慢性静寂型”ともいえる危機に喘いできた地方住民に、今回の震災が与えた影響は十重二十重の苦しみを与えている。

それでも、報道番組を見る限り、被災者が連絡が取れない家族に対して送っているメッセージの中に、自分たちが元気であるから心配しないようにという言葉が少なからずある。
痛ましい声でもある一方で、彼らの心根の強さも感じ一縷の望みをそこに託したいという思いにも駆られている。

森林(やま)づくりは、余裕のある者がおこなう趣味的な行為では決してない。
我々の生活を根底から支える森林を守り育てる行為であると考えてきた。
だからこそ、森林(やま)づくりに関わる者として出来ること、為すべきことを考え続けたいと思っている。
自分に出来ることは、きっとそれだけなのだから。

冬来たりなば、春遠からじ。

必ず春はやってくる。

(2011/3/10 生品地区)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年3月12日 (土)

●無事です!●

このブログをいつもご覧戴いている皆様にご報告です。

ご存じのように、未曾有の大地震が全国を襲い、甚大な被害をもたらしていますが、私の職場も私自身も無事にしております。

ご安心ください!

取り急ぎ、ご一報まで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月 6日 (日)

啓蟄

20110306sika

久々の川場村で自動撮影装置のデータを回収した。

自動撮影装置というのは偉いもので、持ち主がサボっていてもちゃんと記録を続けてくれているから頭が下がる。

写真は、3ヶ月ほど前のヒロイド原。
発情期を終えていよいよ厳しい冬を迎えようとしている頃の一枚である。

立派な角を頂いた壮齢の雄のニホンジカなのだが、どうにも憎めない表情に見える。
“ん?なんだ?写真?”
とでも言いながら近づいてきているようだ。

この雄ジカ。
無事に冬を乗り切りつつあるだろうか。
今年の川場村は雪が少ないとはいえ、冷え込みは厳しかったので彼らにとっても辛い冬だったことだろう。

けれど、厳しい冬もそろそろ終盤にさしかかった。

本日は、二十四節気のうちの一つ、“啓蟄(けいちつ)”である。
二十四節気のことは、だいぶ以前に触れたことがあったが、古人の壮大な偉業の一つであると思っている。

“啓蟄”の“啓”の字は、開くという意味。
“蟄”のほうは、虫などが土中などに閉じこもる様を指す言葉である。
土の中で厳しい冬を過ごした虫が地表に這いだし始める境の日が“啓蟄”なのだ。

昨年は4月中旬になって大雪が降ったりもしたし、まだまだ厳しい日が多くありそうだが、少しずつ、少しずつ春が近づいてくるのがこの季節である。

鹿達の苦労ももう少しだ。

(2010/12/15 中野地区友好の森)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年3月 3日 (木)

久々の川場村

20110303tokusa2

3月に入って、やっと川場行きが実現した。
前回が、昨年の12月11~12日だったので、ほぼ3ヶ月もご無沙汰したことになる。

3ヶ月といえば、一年の4分の1である。
こんなに長い時間、川場村観察を怠ってしまったのだ。

降霜・降雪の時期も毎年異なるし、そうした気候の変動に合わせて生物の様子も年ごとに違う。
川場村の生物暦(フェノロジー)を纏めたいと思っているのに、痛恨のご無沙汰になってしまった。

地元の方にお聞きすると、このところ連日の小春日和が続いたそうで、この時期にこんなにも雪が少ない川場村は滅多にないことだ。

村内で最も標高の高いところにある“木賊(とくさ)”という集落はどうだろうかと思い、車を走らせてみたが、やはり雪は少ない。
橋の上から川面を眺めると、風に舞う粉雪と霧にけぶって、日本画のような落ちついた景色を目にすることができた。

20110303tokusa1

猿害に苦しむ川場湯原地区の太郎集落の上流部に位置するこの集落も、やはりニホンザルが多く棲息する地域の中にある。

樹木にサルの食痕が多く残されていた。
樹木の表面の固い皮(外樹皮)の内側にある、水分と糖分を多く含んだ層を目当てにサルが皮を剥いた痕跡だ。

この日は、サルを直接目にすることはなかったが、多くの樹皮剥ぎ痕がサルの存在を教えてくれた。

(2011/03/01 木賊地区)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »