木々の異常
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
冬の森林(やま)は何もないように思われるが、そのようなことはない。
たしかに、新しい息吹が一斉に芽吹く春の賑やかさはないし、夏の力強さも、秋の豊饒とも違うが、冬には冬の良さがある。
春を待つ種子は、落葉の下で芽吹きの準備を着々と進めている。
カラマツ林の林縁で美しい造形を見せるのは、種子をとばした後のウバユリの実だ。
一本のウバユリが、おそらく千を超す種子を実らせる。
もし、全てが芽生えたら辺り一面がウバユリだらけになるはずだが、そうはならない。
まるで、他の生物の餌となることや、土を肥やす自分の役割を知っているかのようだ。
夏に咲くウバユリバユの花も綺麗だが、冬枯れの林床に凜と立つ姿もまた画になる。
20071208 カラマツ人工林の林縁で(中野地区)
NIKON D80 28-200
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
この数年、農家の方々が森林(やま)に注目しつつある。
手間暇とお金を投じなければ収穫を得ることができないと信じてきた農業のあり方に疑問を持ち始めたのだ。
深耕することもなく、農薬を散布するでもなく、施肥を行うでもなく森林は豊かさを保っている。
農文協は農業者を支援する出版物を多く手がける版元だが、主力定期刊行物である『現代農業』などでも、頻繁に森林に関する記事が掲載されている。
その内容も、山菜・炭焼き・間伐・枝打ち・落ち葉堆肥等々多岐にわたる。
この度、同誌の別冊として『野山・里山・竹林-楽しむ、活かす-』というムックが出版された。
山菜・キノコの収穫・生産方法から利用方法、竹林の利用や手入れの方法、野山の草木でクラフト製作、燃料としての木材利用、昆虫や野生動物の捕まえ方・飼育方法から味わい方、そして森林の管理方法まで、実に多岐にわたる構成となっている。
さらに、このムックの特徴は、全国津々浦々にわたる取材の結果、各地域で行われてきた方法を主体に組み立てられていることにある。
私たちの友好の森でも実践できることがまだまだ沢山ありそうだ。
農家も非農家も、川場村民も世田谷区民も、子どももおとなも、皆で楽しみながらできる森林づくりがあるはずだ。
楽しく、気楽に読むことができて、その上とても参考になる一冊だ。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
川場の森林(やま)づくりのことだけしか載せないという勝手なルールを作って始めてみたこのブログも半年目を迎えることが出来ました!
どれくらい続けることが出来るのだろうかと不安も抱えつつのスタートでしたが、まだまだあれも載せたい、これも載せたいと思うことばかりです!
このページを立ち上げたことで知り合えた方々も少なからずいらっしゃいます。
立ち上げ以前から存じ上げていた方も、それまでにない会話を楽しませていただくことも出来ました。
森林(やま)の奥深さ、森林(やま)づくりの奥深さを今さらながら再確認しています。
思いつきで始めたこのブログですが、もう少し続けてみようかと思っています。
皆さんこれからもどうぞよろしくお願いします。
20071201 湯原の農村風景
NIKON D80 TAMRON18-250
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
うっすら雪化粧のカラマツ林を観に川場スキー場の入り口付近まで行ってきた。
国有林内の人工林だが、なかなかどうして素敵な景観になっている。
カラマツは、スギやヒノキと並んで、戦後の拡大造林期の主要造林樹種のひとつだ。
信州のカラマツが北海道に至る全国に植栽されたという。
建築用材や坑木など、多彩な用途が期待されたが、若いカラマツの材は暴れる(反ったり曲がったりすること)うえに、外樹皮が労働者の肩にチクチクと刺さり扱いにくい材であったこと等々から、当初見込んだほどの需要がなく、放置されてしまっている林分が多い。
天唐(天然カラマツ材)の色艶や味わいは一朝一夕に出るものではないようだが、あと60年も経てば良い材になるに違いない。
民間には出来ないような息の長い仕事をするためにも国有林の存在意義は大きいのだが・・・
20071201 カラマツ林(川場スキー場付近)
NIKON D80 SIGMA10-20
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
仕事があって、12月1日に日帰りで川場村を訪ねた。
1時間ほどの会議のために往復で7時間程かけての川場行きだったが、まさに「師走」だなあ、などと思いつつ車を走らせていた。
仕事の前後に慌ただしく村内をまわったが、ホームグラウンドのヒロイド原には沢山の雪虫がふわふわと飛んでいた。
実は、タケさんのページや写真家の海野和男さんのページに紹介された雪虫の写真に触発されて、これは撮らねば!と思っていた。
とびきりのんびりしている一匹に目をつけて、しばらく追っていると真っ赤に紅葉したブルーベリーの葉にとまってくれた。
「雪虫」とは、粉雪が舞うように飛ぶ小さな虫の総称だが、晩秋から初冬にかけて、まるで近い降雪を告げるように現れる。
それ自体が雪のようだから雪虫なのか、降雪を告げる虫だから雪虫なのかは判然としないが、地域差もあるのだろう。
北海道では、トドノネオオワタムシが雪虫の代表だが、川場にはトドマツもヤチダモも存在しないので、たぶん違う種類なのではないだろうか。ケヤキヒトスジアブラムシの可能性が高いと思っているが自信はない。
写真の個体の大きさは約3mmほど。
20071201 雪虫(ヒロイド原)
NIKON D80 105MICRO (×1.4テレコン)
| 固定リンク | コメント (5) | トラックバック (0)
ようじさんの蒟蒻畑で、「種玉」と呼ばれている栽培2年目の芋の掘り取り作業を見せていただきました。
マムシグサやウラシマソウや、このページでも紹介したホソバテンナンショウと近い仲間でよく似た花を咲かせます。
写真は種玉についた花芽ですが、これをひとつひとつ外していく作業が必要です。
というのも、花が咲いたコンニャクは、芋がしぼみ商品価値を無くすからです。
花芽の下には葉の芽が準備されていて、これを傷つけないように花芽だけを掻き取っていきます。
見学をさせていただいた日は、日差しの穏やかな暖かい日でしたが、この日の晩から川場は雪になりました。ようじさんの畑はこの日までで4割程度の掘り取りが済んだところだったそうです。寒風の吹く中、足下には雪があるような畑での掘り取り作業がまだ残っています。
20071118 花芽のついた蒟蒻芋(ようじさんの蒟蒻畑で)
NIKON D80 TAMRON18-250
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
仲間達と植えて、育ててきた森林(やま)が人間の背丈の倍ほどの高さにまでなってきた。
いっちょまえになかなか見られる紅葉だ。
他人が見たら、どうということもない森林なのかもしれない。
それでも、自分達で植え、自分達で下刈りをし、自分たちで間伐をしてきた森林は、やはりかわいいものだ。
森林は、一人の人間には認識できないほどの、気の遠くなるような長い時間をかけて育つものだと思っていた。
けれども、目に見ることのできる速度でちゃんと育ってくれる。
それまでは、森林を育てるという仕事を頭でしか理解できなかった。
この森林(やま)は、人間が破壊すること以外の関わり方ができるという実感をくれた森林だ。
20071117 色づくコナラの森(ヒロイド原)
NIKON D80 TAMRON18-250
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
先日、ようじさんにお願いしてコンニャク畑の見学をさせていただきました。
かつて川場の主力農産物であったコンニャクも今では、安価な中国産に圧されたり、生産に手間がかかることなどから、生産する農家も減少しているようです。
ようじさんは、そんな中で製粉の過程までをご自身でなさっている熱心なお百姓さんです。
写真は、掘り起こされた2年生のコンニャク芋をひとつひとつ丁寧に手入れしているところです。
花芽がついてしまったものは花芽を掻き、生子(きご)と呼ばれる小芋を外しながら撫でるように作業を続けています。
作業を拝見しているうちに、林業の古い用語に「撫育(ぶいく)」という言葉があったのを思い出しました。文字どおり、「撫でるように慈しみ育てる」という意味の言葉で、間伐や枝打ち等の作業を総称する言葉です。現在ではなぜか使われなくなった言葉ですが、とても良い言葉だと思っています。
農作業も「撫育」だなあ。と思ったひとときでした。
「お百姓」という言葉は、古い時代に、職業を姓としたことから生まれた言葉です。
「百の職業(能力)」をもつ超人が「お百姓」さんです。
現在のお百姓さん達も、誰に誇るわけでもなく、淡々と何でもこなしてしまうスーパーマン達です。
20071118 ようじさんの蒟蒻畑で
NIKON D80 TAMRON18-250
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
日曜日の新聞(10月28日、朝日新聞朝刊)で新しい言葉に出逢い、気持ちが豊かになった。
「目肥(めごえ)」という言葉だ。
わが国には、山野草を栽培し楽しむ文化が古くからあるが、この山野草栽培の愛好家の間で古くから使われてきた言葉だそうだ。
文字どおり、見つめることが最も有効な肥料となる、という意味である。
育てる対象とじっくり向き合うことをせず、窒素・リン酸・カリのバランスはどうだ、微量元素がどうした、というよりは、時間さえあれば眺め、時間がなければ時間をつくっても見入ることが最大の栄養源となる。
非科学的な、単なる精神論でもなければ、科学否定論者の夢想でもない。
事物に見入る人間が、見入るだけで終わるわけがない。
水は足りているだろうか。日当たりは充分か。心配で心配で、心配することも楽しくて。
そうした人のもとにある草花が活き活きと育たぬ訳がない。
森林(やま)づくりの言葉にも、これと近い言葉がある。
「やまの肥やしにゃわらじが一番」とか「やまの肥やしは人の足跡」とか、細かな言い回しには差異があるが、各地の林業家たちが口にする。
人が森林に足を踏み入れることが、もっとも大切な森林の栄養になる、という意味の言葉だ。
わらじを化学分析にかけたところで、もちろん意味はない。
「踏圧が土壌を締め、根系の呼吸を妨げる」という反論も無味乾燥。
「育てる」「つくる」という人の営為を考えるのに、人を抜きにしてまともな答えが見つかるわけがない。
新しい言葉と出逢うのは、物やお金を手に入れることよりもずっと豊かになれる。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
最近、“はざかけ”のことや“リンゴ”のことなどをこのブログで取り上げてきた。
“森林づくり”のブログなのに。
もともと、わが国の林業は農家が主体となって進められてきた。
そのため、森林を育てる知恵も、農業生産との関係で積み重ねられ、練られてきたものが多い。
どの作業も、山の木々のために一番良い時期に行うのではなく、農閑期に行うことを前提に組み立てられてきた。
わが国は、面積こそ狭隘だが、驚くほど多様な気候風土を持つ国なので、全国一律の方法では、豊かな森林づくりは望めない。その地域地域に根ざした方法が必要だ。
地域に根ざした方法は、地域に長く生活した者にしか生み出すことはできない。
そのため、古くから森林を育ててきた農家の知恵に学ぶことが大切なのだ。
農家の生活や、農業のこと、農村の慣習、そういったものを知ることが森林づくりには欠くことができない。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
杉の林の中に、目を奪われる鮮やかな緑が点々としている。
何だろうと思って近づくと、一昨年の秋に伐倒した直径15cmほどの杉の切り株の木口が苔に覆われていた。
秋雨が切り株を濡らしたおかげで一斉に胞子嚢を伸ばしたようだ。
レンズ越しに見ると、まるで、見たこともない種類の、見たこともないような巨木が幽玄な深い森をつくっているようにさえ見えてきた。そして、その巨木を凌駕する、やはり見たこともない木の子もそびえている。
昨年のこの時期には、この林の中で、こんなに綺麗な苔を見た覚えがない。
見た目には伐倒したときからそれほど変わったようには見えないが、様々な菌類が杉の切り株を分解し、苔生す条件を整えたのだろう。
小さな切り株の上の広大な世界の下で、想像すらできないような世界が広がり、弛まず森林をつくっている。
20071014 友好の森
NIKON D80 TAMRON18-250
| 固定リンク | コメント (3) | トラックバック (0)
今日でこのブログを立ち上げて4ヶ月が経ちました!
この間、川場村にお住まいの方々ともブログを通じてお話ができるようになり、本当に楽しい時間を頂戴できています。あらためて感謝申し上げます!
総アクセス数も5400件あまりと、多くの方々に訪れていただき、大変嬉しい反面でいい加減なことは掲載できないな、と緊張もしています。
へたっぴ写真と乱文ですが、少しでも川場ファンを増やすことができればと思っていますので、今後ともごひいきの程、よろしくお願い申し上げます!!
このブログでは野山に自生する花を紹介させていただいてきましたが、村内のそれぞれの集落内は、どこも花でいっぱいです。
さすがに農家の方々はとても上手に世話をしていらっしゃいます。
こんなに綺麗に花が彩る村は珍しいのではないでしょうか。
川場村は、雪深い厳冬期を除いて、一年中花が絶えることのない村です。
緑の山々や豊かな田畑を借景に、すばらしい花景色をこれからも楽しみたいと思っています。
20070825 中野地区
NIKON D80 TAMRON28-250
| 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
樹木は生の中に死を内包するという、他の生物には見られないとても不思議な機構をもっている。
生物学的に生きているのは、表面のごく数ミリの細胞に過ぎず、その内側は既に生命活動を停止した細胞が詰まっているのだ。
それにもかかわらず、内部が腐敗したりすることもなく、時には数千年もの時間を過ごす。
もちろん腐敗・分解を阻止する様々な仕組みが樹木の中に存在するからなのだが、よく考えると神秘的ですらある。
一方で、樹木は枯れて土に還ることで、次世代の生育環境を形作るという大切な働きももっている。
ところが、樹木の内部を腐敗させない機構は、樹木が枯れた後も永く持続される。
木造建築物が長い時を経ても堅牢であったり、湖沼の底で気の遠くなるほどの年月を数えた倒木がほぼ原型を留めたまま発見されるのは、こうした樹木の特質によるものだ。
木を食べることでおなじみの白蟻ですら単体では樹木を分解することができず、白蟻の腸内に存在する微生物の力を借りなければならないほどだ。
この堅牢な樹木の機構を打ち破り、短時間に樹木を分解させる生物がキノコである。
キノコが樹木をある程度分解すると、様々な生物が食べることが可能になる。
様々な生物を経て樹木は土に還り、新たな芽吹きを可能にする。
キノコは森林の新たなスタートをきる重要な役割を演じている。
20061014 友好の森の中で
NIKON D80 60MICRO
| 固定リンク | コメント (8) | トラックバック (0)
近年、市民の森林づくりにおいても、チェーンソーや刈り払い機などの動力機械が多用されるようになってきた。
大きな音を出す動力付きの機械などを使っていては、その存在にすら気がつかないような微細な楽しみが森林(やま)づくりにはある。楽しみであると同時に大切なことだ。
森林は樹木だけで構成されているのではない。土があり、水が流れ、風が吹き、鳥がさえずり、動物が暮らす。そうした、まさに総合的な環境として森林を意識できなければ、森林づくりが功を奏することはない。
動力機械は、木材を得る仕事には大きな力を発揮するが、森林を理解する上では邪魔者となってしまうことも多い。動力機械の利用で目先の作業スピードが上がっても、別の機会に森林全体を見渡す力を養おうとすれば二度手間三度手間になり、どちらが効率がよいのかわからない。
これは何も森林づくりに限ったことではない。目先の効率を追い求めた結果、我々の社会は、様々なものを失い、それらを取り返すために莫大な費用や労力を投じることを余儀なくされている。
市民の森林づくりが、こうした時代の中で必要とされつつあることを考えたとき、一見効率がよいように見える作業が、実は、森林の総合的な理解を進めることを邪魔しているかもしれないことに危惧を抱かざるを得ない。
森林の中で出逢う、虫や花や鳥たちに気づき、楽しみ、理解することができるような、ゆっくりとした作業を進めていきたい。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
「木に上っている時間と同じくらい鉈を研いでいた」とは腕のいい枝打ち職人の言葉。「研ぎもしないで刈ったって草より息が切れるだけ」とは下刈りの話。「トビの先はしょっちゅう叩いたな、焚き火でな、赤めてから叩くのよ。先が鈍れば仕事になんかならねえからな」とは伐出を生業とする木屋師。
高性能林業機械はおろかチェンソーすらなかった時代に育った林業家たちは、手道具を通じて仕事を体に染みこませた。
茶を飲み、紫煙をくゆらせ、緊張の連続である危険作業による心身の疲れを解すひとときに次の仕事の準備を怠らないのがよい職人だったそうだ。
先輩にお茶を淹れるくらいしか仕事のない茶坊主は焚き火をしながら湯を沸かし、先輩が道具を研ぐ技を盗み、次第に様々な技を自分のものにしていった。
そうした時間に彼らは様々な話もしたという。あそこの沢の橋が落ちかけているから架け直そうとか、どこの鍛冶屋は腕がたつとかといった大切な情報交換。旨い山菜やキノコが採れる場所はけっして誰にも教えなかったけれども、そうした場所を見つけるための目配りのポイントは言葉の端々から漏れていた。森林の恵みを最大限に活用するための知恵の伝達の時間でもあったのだ。ジムグリを若手に食わせておいて「旨いかね」「そいつは苦いだろ、マムシは旨いぜ」などと腕白坊主の顔に戻っての悪戯も後進を育てた。
手道具を使ってこその、そうしたゆったりとした時間を過ごすことで彼らはベテランの林業家に育っていった。
わが国が戦後の復興期を過ぎ、急速な経済発展を遂げるなるかで失っていったのは、こうしたゆったりとした時間の流れではなかっただろうか。それが許された遠い過去の、牧歌的な風景として語られることこそ多いこうした時間の流れは、実は、丁寧で真に効率的な時間の流れであった。
木材生産を生業とするプロの林業家たちには一定の速度が要求されるのも致し方のないことだが、市民が森林づくりに関わる強みは、こうした丁寧な時間を過ごすことが許されるところにある。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
キノコの仲間もおもしろい。
写真はタマゴタケ。夏から秋にかけて様々なところで発生するキノコだ。
本種は食用になるのだが、テングタケ科のキノコなだけに、有毒のベニテングダケにもよく似ているので注意が必要だ。なんと、タマゴタケモドキなどという有毒キノコまである。
キノコの同定は全く自信がない。
シイタケなどおなじみのキノコでも、森林の中で見かけるものは、色も形も大きさも地域差が大きくて、自信を持って「シイタケだ」と断定できない。
毒キノコの見分け方について、「軸が縦にさけたら毒がない、とか色が地味なものは大丈夫とか、そんな見分け方は一切信じないように!、そんな見分け方はただの迷信です!」というようなことがよく言われているし、現在では、多くの人々がそのことをよく知っていることと思う。
確かに正しいのだけれど。
正しいのだけれども、充分ではない。
先人たちの生活は、自分の居住地を中心にあまり広い範囲に及ぶものではなかった。
だから、先人たちの知恵は地域限定だったのだ。
「軸が縦にさければ食べられる」のは、ある地域では間違いでも迷信でもない、確かな生きる知恵だったのだ。
テレビや自動車が普及して、人間が全国を飛び回るようになると、軸が縦にさけても毒があるキノコが生える地域にまで出かけていくようになった。そうすると、それまで蓄積してきた知恵が役を為さないこともでてきてしまう。
森林(やま)づくりには、地域に根ざした知恵が必要だ。
地域に根ざした知恵を掘り起こすためには「嘘だ」「迷信」だといって馬鹿にせず、なぜそのような知恵が受け継がれてきたのかを真摯に考える必要がある。生活圏域が広がりすぎて人知が及ばなくなってきたことを怖れる感性が大切だ。
20070809 タマゴタケ(川場牧場)
NIKON D80 SIGMA10-20
| 固定リンク | コメント (5) | トラックバック (0)
この写真を中心としたブログを立ち上げてから早くも3ヶ月です。
なんと3600近いアクセスを戴きました!
川場の森林に興味を持つ方が出てきてくださったり、森林とのつきあい方に新しい視点を見つけてくださったり、少しだけでもそんな方々のお手伝いができていればよいのですが・・・
これからも、私自身が、大切だなあ、面白いなあ、等々と思ったことを掲載していきたいと思いますので、引き続きおつきあいを戴ければ幸いです。
そして、もしできればコメントを戴ければとても励みになりますので、忌憚のないご意見を戴ければ本当に嬉しく思います。
昨夕から、台風9号が久しぶりに上陸しました。
川場村はとても恵まれた村で、大きな自然災害にはほとんど見舞われないのですが、今回はどうなるのか心配です。
台風の進路予測をみると、日本のリンゴ生産地を縦断しそうです。
収穫の時期を目前に控えて、大きく実りつつある時期だけにリンゴ農家の方々は、さぞ気を揉んでいらっしゃることと思います。何とか、被害が出ないように祈るばかりです。
20070830 色づきを待つばかりのリンゴ(中野地区)
NIKON D80 TAMRON28-250
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
都会には「良い天気」と「あいにくの天気」があるけれど、川場の森林には「良い天気」の日しかない。
雨が降って良い天気
雪が降って良い天気
太陽が照りつけて良い天気
森林はそれぞれに、良い顔を見せてくれる。
この日は、梅雨と台風4号の影響で小糠雨のふる一日だった。
こういう日は草木がとても活きいきとしている。
葉や花もほこりが落ちてしっとりと艶やかだ。
写真は7月14日のカブトの森。
植栽後十数年の若いコナラ林だが、成長の良いものは一升瓶ほどの直径に育っている。まだまだ若い林だが、薄霧に覆われて幽玄ですらあった。
土壌が酸性に傾きかけているのか、スギナが林床に目立った。
20070714 雨のカブトの森
NIKON D80 SIGMA10-20
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
ちょうどひと月ほど前のことだ。
ヒロイド原のカブトの森をのんびり散歩をしていると、不思議な光景に出逢った。
1m四方ほどのスペースにスギナが群生していた。
よく見ると、多くのスギナがコナラの落葉を串刺しにしている。
スギナが枯れ葉を突き破って生長したのかと思ったが、観察するとどうもそうではないようだ。
おそらく、昨年の夏に樹上に茂った青葉を虫が食べて穴を空け、その葉が冬を迎えて地面に落ち、春になってツクシが胞子を振りまいたのだろう。地面に振りまかれた胞子が気温と水分を得て芽を出したが、太陽の光はわずかに落葉に空いた穴から地面に差していたので、そこをめがけて生長を始めた結果、虫食いの穴から頂端を覗かせ、次第に落葉を持ち上げていったというのが事の真相だろう。
森林には驚きが沢山ある。
20070513 NIKON D80 105MICRO
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
最近のコメント